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新潟地方裁判所高田支部 昭和45年(ワ)62号 判決

原告 国

訴訟代理人 横尾義男 長谷川孝 ほか二名

被告 藤井清治

主文

一  被告は原告に対し、別紙第二目録記載の建物を収去して別紙第一目録記載の土地を明渡し、昭和四九年一月一日から右明渡済に至るまで一日当り金一、七六四円六六銭の割合による金員及び右金員に対する各応当日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告に対し、金二一三万四、一二六円及びうち金一九六万五、四三四円に対する昭和四九年一月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  引受参加人は原告に対し、別紙第二目録記載の建物から退去して別紙第一目録記載の土地を明渡せ。

四  訴訟費用は被告及び引受参加人の負担とする。

五  この判決は、原告において被告に対し金三〇〇万円、引受参加人に対し金二〇〇万円の担保を供するときは、その被告及び引受参加人に対し仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文第一ないし第三項と同旨。

仮執行の宣言。

二  被告及び引受参加人

原告の被告及び引受参加人に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、以前から別紙第一目録記載の土地一、一五一・八三平方メートル(以下「本件土地」という。)を所有している。

2  被告は、別紙第二目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有し、何らの権原なくしてその敷地である本件土地を占有している。

被告が本件土地を占拠するに至つた経緯は、次のとおりである。すなわち、本件土地は、原告所有の旧陸軍第一三航空教育隊南兵舎(以下「旧兵舎」と略称する。)の敷地五五、九五七・七三平方メートルの一部であつたが、旧兵舎のうち第一号舎(もと多年歩兵第三〇連隊本部)が昭和二二年九月一一日火災のため焼失した。昭和二三年一一月二〇日、地元の南新町から原告に対し、右焼失した建物の附属部分であり類焼を免れた便所、下家、渡り廊下等の焼残建物部分(床面積一一二・〇〇四四平方メートル(以下これを「焼残建物」という。)を暖房用の薪材に使用したいとの願出があつたので、原告は、昭和二五年二月一八日、これを薪材五〇石と見積つて代金一万五、〇〇〇円で同町会に対し払下げたところ、同町会は、これを取壊さずにしばらく同町会の配給品用の倉庫として使用していた。被告は、昭和二五年八月、同町会から右焼残建物を家賃月額金三〇〇円で借受けてこれに改修を加えて住み込み、昭和三六年六月、同町会から右建物を代金三万一、〇〇〇円で買受けた。被告は、その前後頃から同四〇年頃までの間に、その営む製餡営業及び居住のため次々と営業用の工場、倉庫、自動車々庫及び二階建住家等を大増築して、本件建物の全体を完成し、その敷地である本件土地を占拠するに至つたものである。したがつて被告は、右各増築につき何ら建築基準法による建築許可を受けてなく、建物新築届も登記もしてない。

3  被告は、本件土地を悪意で不法占拠することにより原告の損失において以下のような不当な利益を得、かつこれに対する利息債務を負担するに至つた。

(一) 原告の求める不当利得金及びその利息金

(1) 昭和四五年四月一日から昭和四八年一二月三一日までの間の土地使用料相当額である金一九六万五、四三四円およびこれに対する同日までの民法所定の年五分の割合による利息金一六万八、六九一円(別紙計算表のとおり)。

(2) 右不当利得金元金に対する昭和四九年一月一日から完済に至るまでの民事法定利率年五分の割合による利息金

(3) 昭和四九年一月一日から本件土地明渡済に至るまでの間の一日当りの土地使用料相当額である金一、七六四円六六銭及びこれに対する各応当日の翌日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による利息金。

(二) 右不当利得金算出の根拠は次のとおりである。

原告は普通財産である国有地を他から不法占拠された場合に、不法占拠者へ請求する不当利得金もしくは不法行為損害金の土地使用料相当額の算定方法について、大蔵省の昭和四一年一〇月二〇日蔵国有第二六七四号通達の別紙の不法占拠財産の損害金算定要領の1、2の(2)及び3で、次の通り一定の基準(本件に必要な部分のみ記述する)を定めている。

(1) 当該土地の使用が仮に民有地であつても、地代家賃統制令の適用のないような事案においては、不法占拠継続期間中の各年度の前年度の土地の相続税標準価格に対し一定の貨付料率として昭和四四年度以降は年八分を乗じた金額を不当利得金もしくは損害金の年額と算定し、それを平年の日数三六五日で除して一日あたりの金額を算出する。

(2) 延滞金(不当利得の場合は利息金)の算定は、不法占拠期間の各日分の使用料相当額について、その各翌日からの日数に応じて民事法定利率年五分を乗じて得た金額によるものとし、その計算の便宜上延滞利息金を年単位で算出する場合に、当該初年度分は元金額に年利率五分を乗じ、さらに平年の三六五日分の三六四日を乗じ、これを二分の一する方法で算定し、次年度以降の分は元金に対する通常の方法で算定する。

(3) 又算定基準の土地の相続税課税標準価格は、国有地には相続税や固定資産税の課税ということがないが、民有地であつたと仮定して相続税を課税する場合の仮の標準価格によるもので、それは国税庁長官の相続税財産評価基本通達(昭和三九年四月二五日付直資五六号、直審(資)一七号)によつて、国税庁で毎年定められてあり、その土地に対する地方税法の規定(第三四八条第一項)により市町村の固定資産税の課税台帳に登録されるべきいわゆる評価額に一定の倍率を乗じて算出される価格によるわけである。

(4) また通達では、その算定事例において、不法占拠が数ケ年間継続している場合の数年分の使用料相当額を算出するのは、各年毎の相続税課税標準額や固定資産税評価額を国税局や市町村役場へ依頼調査することが極めて煩瑣かつ迂遠なので、算定時の前年度分だけの相続税課税標準額を調査して使用料相当額を算出し、その既往年度分は財団法人日本不動産研究所の調査にかかる全国市街地価格指数表〈証拠省略〉を利用して同表による各年度指数を乗じた金額を、当該既往年度の使用料相当額とする方法を採用しており、又算定時以後の分は、前述の方法により算定年度における算出額の一日あたりの金額を基準にして請求することとしている。

そこで、原告が被告に対して請求する本訴不当利得金の土地使用料相当額及び延滞利息金の算定には、以上詳説した大蔵省の土地使用料相当額算定基準通達〈証拠省略〉によつて、算定請求時の前年度である昭和四七年度分について、上越市役所及び関東信越国税局へ調査照会して得た本件土地の仮の固定資産税評価額及び相続税課税標準価格の回答数値〈証拠省略〉を使用して、さらに昭和四四年度ないし同四六年度の既往分については〈証拠省略〉の全国市街地価格指数表を応用して、〈証拠省略〉の本文及び添付の計算表に明記した通り算定し請求したものである。

4  引受参加人は、昭和五〇年五月二六日に設立されて以来、それまで被告が本件建物を使用して行つていた餡の製造・販売業を引継ぎ、本件建物及び本件土地を右営業用に使用して、被告とともに本件建物及び本件土地を共同占有している。

5  よつて、原告は、本件土地所有権に基づき、被告に対し、本件建物を収去してその敷地である本件土地を明渡すこと及び前記不当利得金及びその利息金の支払を求め、引受参加人に対し本件建物から退去して本件土地を明渡すことを求めて、本訴に及んだ。

二  請求の原因に対する被告らの答弁

請求の原因1の事実について、被告は、昭和四六年三月一日の本件第一回口頭弁論期日においてこれを認める旨の答弁をした。しかし、被告は、昭和四七年九月二一日の本件第一〇回口頭弁論期日及び同年一一月二四日の本件第一一回口頭弁論期日において、原告がもと本件土地の所有者であつたことは認めるが、その後、被告が本件土地を時効取得したことにより、原告は本件土地所有権を喪失したものと主張し、先にした原告が本件土地の所有者であることを認める旨の主張を撤回するものである。引受参加人の答弁は、被告の本件第一〇回及び第一一回口頭弁論における答弁と同じである。

請求の原因2の事実のうち、被告が本件建物を所有してその敷地である本件土地を占有していること、本件土地はもと原告所有の旧兵舎の敷地の一部であつたが、旧兵舎のうち一号舎(もと多年歩兵第三〇連隊本部)が火災のため焼失したこと、その後、原告は南新町町会に対し、右焼失した建物の附属部分である便所、下家、渡り廊下等の焼残建物を払下げ、被告は、昭和二五年八月、南新町町会からこれを借り受けて改修を加えたうえ住居等に使用していたがその後、昭和三六年六月三〇日、同町会から右焼残建物を買受け、さらにこれに増改築を加えて本件建物を完成したことは認めるが、その余の事実は争う。

同3は争う。

同4の事実のうち、引受参加人が本件建物の一部を使用していることは認めるが、その余の事実は争う。

同5は争う。

三  被告及び引受参加人の抗弁

1  本件土地に対する使用借権(請求の原因2に対する抗弁)

(一) 被告は、終戦直後、外地より引揚げてきたが、住居に困窮し、他の海外引揚者らとともに「海上引揚者上越協力会」(会長金子秀顕)なる団体を組織した。同被告外一名は、同協力会の代表として、昭和二一年四月頃、当時日本国の統治権を有していた連合国占領軍の新潟軍政部に陳情し、同軍政部長の許可を得た結果、右会のメンバーである被告ら引揚者は同軍から、当時その管理下にあつた原告所有の旧兵舎とその敷地(本件土地はその一部)を無償で借り受けた。

(二) ところで、その後、昭和二一年九月頃、旧兵舎のうち第一号舎の建物一棟(もと多年歩兵第三〇連隊本部)が焼失したが、右建物の附属建物部分である便所、渡り廊下等(前記焼残建物)が類焼を免れた。原告は、昭和二一年一〇月、南新町町会に対し、右焼残建物を払下げた。被告は、昭和二五年八月頃、右南新町町会からその所有の右焼残建物を借り受けこれに入居して使用していたが、その後昭和三六年六月三〇日、同町からこれを買受け、増改築を加えて本件建物としたもので、昭和二五年八月以来右建物の敷地として本件土地を使用して現在に至つている。

(三) しかして、昭和二七年四月二八日の平和条約の発効により、連合国から原告に対し施政権が返還されると同時に、(一)記載の法律関係は連合国から原告に引継がれたものであるから、原告は連合国から本件土地を含む旧兵舎の敷地の使用貸人の地位を承継した。

(四) したがつて、被告は、右使用借権に基づき本件土地を占有しているものであるから、原告の本訴請求は理由がない。

2  本件土地の一部に対する使用借権、賃借権及び時効取得(請求の原因1及び2に対する抗弁)

(一) 被告は、昭和二五年八月頃、国有財産法第二二条第一項第二号により、原告から、本件土地のうち前記旧兵舎の焼残建物の敷地一六五平方メートルを無償で借り受けた。

(二) 被告は、昭和三四年一〇月頃、国有財産法第二一条第二項により、原告から、本件土地のうち右焼残建物に増築した部分の敷地一六〇平方メートルを賃借した。したがつて被告は、同月一日から原告に対し、高田市を介して、賃料を支払つている。

(三) 被告は、昭和二五年八月から、本件土地のうち右(一)、(二)記載の部分を除くその余の部分を、所有の意思をもつて、平穏、公然かつ善意、無過失で占有してきたものであるから、その時から一〇年後の昭和三五年八月末日の経過とともにその所有権を時効により取得した。被告は、本訴で右時効を援用する。

3  本件土地所有権の時効取得(請求の原因1に対する抗弁)

被告は、昭和二五年八月前記旧兵舎の焼残建物に入居して以来、本件土地につき所有の意思をもつて、平穏、公然にその使用を継続してきたので、少くともその時から二〇年後の昭和四五年八月末日の経過とともに本件土地所有権を時効により取得した。

被告は、右時効を本訴で援用する。

4  本件土地に対する使用借権の時効取得(請求の原因2に対する抗弁)

被告は、昭和二五年八月、前記旧兵舎の焼残建物に入居して以来、本件土地を原告から無償で借受けているとの意思で、平穏、公然にその使用を継続してきたので、少くともその時より二〇年後の昭和四五年八月末日の経過とともに、本件土地の使用借権を時効により取得した。被告は、本訴で右時効を援用する。

5  引受参加人の本件土地、建物の使用権原

引受参加人は、被告藤井から本件土地、建物の使用を許されているものである。

四  抗弁に対する原告の答弁及び主張

(答弁)

抗弁1(一)の事実は争う。

同1(二)の事実中、旧兵舎のうち第一号舎の建物一棟(もと多年歩兵第三〇連隊本部)が焼失したが、右建物の附属建物部分である便所、渡り廊下等(焼残建物)が類焼を免れたこと、原告はその後南新町町会に対し、右焼残建物を払下げたこと、被告は、昭和二五年八月頃、同町会からその所有の右焼残建物を借り受け、これに入居して使用していたが、その後、これを買受け、これに増改築を加えて本件建物としたもので、昭和二五年八月以来右建物の敷地部分を使用して現在に至つていることは認めるが、その余の事実は争う。

同1(三)、(四)の主張は争う。

同2(一)、(二)の各事実は否認する。

同2(三)及び同3の各事実は争う。なお、被告の右時効取得の主張は、前記請求の原因1に対する被告の答弁における自白(本件土地が現在原告の所有であることを認める旨の陳述)の撤回を前提としてなしているものであるが、原告は右自白の撤回に異議がある。

同4の事実は争う。

同5の事実は不知。

(原告の主張)

1 抗弁1に対して

抗弁1の主張は事実に反するものであり、実情は次のようなものである。すなわち、

(一) 旧兵舎及びその敷地は、元来国有財産で多年旧陸軍省の所管であつたが、敗戦による軍隊の解体から昭和二〇年一一月三〇日長野軍管区経理部より大蔵省へ所管換えになつたものであるが、日本が連合国軍に無条件降伏した関係上、昭和二〇年九月中旧兵舎に進駐して来た米軍が占領目的のために同兵舎を占拠し、暫時同兵舎に駐留して武器、弾薬の徹底的破壊、廃毀、近郊の隠匿武器の摘発等の占領目的要務に従事していたが、任務を終るや四、五ケ月で全軍が撤収して終つたもので(高田市史によれば二〇年九月中進駐し、本件の南兵舎は翌二一年一月三一日で全員撤収した)、この間は国の同兵営施設に対する本来の管理処分権が制限されていたに過ぎないものと解せられる。

(二) 而して、旧高田市(現上越市)においては市民の住家、生活に関する直接の行政責任があつた立場から、終戦前後疎開者、引揚者、戦災者等が千数百世帯市内に転入して来たが住家がなく困つている状態に対応するため、右進駐米軍の撤収直後の昭和二一年四月二〇日、稟議の上、進駐軍高田連絡委員部(当時の進駐軍と高田における官民との渉外機関と解される)に対し、当時の川上大造市長名の書面をもつて旧兵舎の建物及び土地全部を引揚者、戦災者、疎開者、その他一般住宅困窮者の住宅用及び開墾畑用として使用させることの許可申請をなし(これは進駐軍が既に任務を終つて撤収したとは言え、当時の占領軍の権威に対して同軍に無断で使用開始することを憚り承認を得ようとしたものと解せられる)、続いて翌五月一七日高田市の佐藤厚生課長、地方事務所の渉外課員、引揚者の代表者などが、占領軍新潟軍政部へ出頭して前記事情を具申し、連絡官シイフアー大尉、施設官ステープルトン中尉から使用の承認を受け、進駐軍高田連絡委員部へ連絡をとつて貰つたりした結果、同年五月三一日中頸城地方事務所(当時の国の一般行政の末端機関)の所長平野耕作より高田市長川上大造に対し、「旧軍用建物並に土地利用方に関する件」と題する書面〈証拠省略〉で「曩に申請された標記の件に関し、管理上の一切の責任を貴職が負うものとして、旧兵舎の土地、建物全部を同年六月一日から利用対象者は無住宅者とする条件で貸与する」旨の許可通達がなされ、これを受けて高田市長川上大造は、同年六月一二日付をもつて右中頸城地方事務所長に対し、前記通達により貸与された旧軍用建物並に土地の管理の件に関しては指示された前記各条項を遵守する旨の請書〈証拠省略〉を提出して同土地、建物の一括無償貸与を受け、同地方事務所渉外課員と市厚生課員が立会つて全建物、土地及び備品の引継ぎを受け、同月五日から居住者の入居を開始するに至つた。又、高田市では新潟県から生活緊急援護施設費として一〇〇万円、越冬対策施設費として九五万円の補助を受けて、各部屋の間仕切り、畳敷き、その他の必要工事を行つたものである。

そして、高田市は、同二二年三月七日稟議の上、市長代理助役名で新潟管財支所(当時の大蔵省東京財務局の出先庁)に対し、右借受けた旧部隊土地建物の使用に至つた経路、入居者等の利用状況、その他詳細な使用状況報告書をも提出している。

(三) さらに、旧兵舎の土地、建物については、最初高田市が中頸城地方事務所長から無償貸与の許諾を得て住宅困窮者を入居させていたものの、本式には大蔵省所轄庁との間で改めて貸付契約を結ぶ必要があつたものと見え、同市は、昭和二一年一〇月七日付で大蔵大臣宛に、同二二年一月二五日付で東京財務局長宛に、夫々同土地建物の国有財産一時使用認可申請書を提出し、次いで同二三年一一月一八日稟議の上、市議会の借受承認議決を経て、同月三〇日付の市長名で大蔵大臣宛に、同兵舎の土地、建物の詳細な利用計画書を添付した普通財産貸付申請書を提出した。又、同市は同二四年二月中所轄の関東信越財務局国有財産部長から南新町の兵舎共同住宅の現況視察を受け案内し、その時の要請に従い同市は稟議の上同二月二三日付の市長名で、共同住宅の経営経理状況及び入居者の生業扶助状態の詳細な報告書(その中の二枚目表に被告も扶助を受けていた記載がある。)を同財務局へ提出して旧兵舎の土地、建物につき正式借受け申請を継続していた。その結果、同二四年三月一〇日関東信越財務局長から高田市長に対し、原告が国有財産一時使用認可書をもつて、高田市に対し、南新町の第一三航空教育総隊南兵舎の土地、建物全部を、使用の目的は戦災者・引揚者の収容施設用として(一部分は職業補導所用)、使用期間は使用開始の昭和二一年六月一日から同二五年三月三一日までとし、所定の使用料で使用させる旨の正式許可書が同市長へ伝達され(この許可書には使用料が定められであるが、それは後に徴収されないこととなつた)、同市長関威雄は同年六月二五日付でその請書を提出した。

次いで、高田市は、同二五年四月二六日付で大蔵大臣宛に、同兵舎の土地、建物につき市議会の無償借受の議決書、借受けの事由書、施設利用計画書、経営経理状況、施設収容者状況書等を添付して、使用目的は引揚者、戦災者、生活困窮者の共同住宅用とし、無償貸付を願う普通財産貸付申請書を提出し、さらに同二七年四月二一日稟議を経て大蔵大臣宛に前同様な無償貸付を願う普通財産貸付申請書を提出し、高田市が実際に引続き国から無償貸付を受けて、従前のまま住宅困窮者の共同収容施設として使用を続けていた。

(四) 原告は、その後所轄の関東財務局新潟財務部により南新町の旧兵舎の土地、建物につき度々利用状況等を実地調査の上、高田市との間に、昭和三五年三月三一日付の国有財産貸付契約書をもつて、国有財産法第二二条第一項第2号及び国有財産特別措置法第三条の規定によつて、右旧兵舎の土地、建物を同市に対し貸付けるものとし、同法条による同市に対する貸付は同法条の指定用途に使用する部分は無償とし、それ以外の営利用途に使用されている部分は有償とし、その貸付料は所定の年度別の金額により納入すること、但し昭和三四年九月三〇日までの貸付料は無償とすること(右契約書第五条、六条)、貸付期間は昭和三四年一〇月一日から同三七年九月三〇日までとし(同第四条)、指定用途は同市にて直接に借受物件を戦災者、引揚者の共同収容施設の用途に供すること、しかも該施設の取扱人員総数中に占める生活困窮世帯の割合は常時五割以上でなければならないこと(同第九条、一〇条)、市は借受物件を借受期間中引続き指定用途に供しなければならず、もし同市が不可抗力その他真に止むを得ない事由により右指定用途の変更を必要とする時には、事前に詳細な理由を附した書面で国の承認を得なければならないこと(同第一一条、一二条)、市は借受物件を善良な管理者の注意をもつて維持保存しなければならず、もし借受物件の現況を変更する必要があるときは事前に理由を附した書面で国の承認を受けなければならないこと(同第一六条)、もし同市が施設の管理が不適当で国から警告を受けてもこれを改めなかつたときその他同市が本契約に定める義務を守らないとき等には、国は本貸付契約を解除することができること(同第二、三条)、同市が前記の第九条、第一一条、第一五条、第一六条などに定める義務に違反したときには、所定の違約金を国に支払わねばならないこと等の厳重な諸条項を定めた貸付契約を締結した。

次いで原告は右国有財産貸付契約の貸付期間が満了した時にはこれを更新し、高田市との間に昭和四〇年三月三一日付、同年七月一九日付、同四三年七月二五日付及び同四五年四月六日付の各関東財務局新潟財務部長名による、契約内容は殆んど同趣旨の国有財産貸付契約を継続締結し、又、右貸付契約による貸付物件に変更が生じた時にはこれが変更に関する事項を定めた貸付契約一部変更契約書を締結して、引続き高田市に対して旧兵舎の土地、建物の全部を戦災者・引揚者等の生活困窮者の共同収容施設として原則として無償の国有財産貸付を行つて来た。

(五) そして高田市は、既述のとおり昭和二一年六月一日以来原告から右兵舎土地建物全部を戦災者、引揚者、生活困窮者等の共同収容施設用として無償貸与を受けたので、新潟県から生活緊急援護施設費、越冬施設対策費等の補助をも得て、旧兵舎に対し居住に必要な間仕切り、畳敷き、その他の工作を施したうえ、永年、主として右の住宅困窮者等を無家賃で入居、使用させて来た。又、高田市は、昭和二三年四月一日から施行した南新町共同住宅使用規程(条例)を設け、同規程に基づく共同住宅使用契約書用紙を備付けて、これによつて入居者に使用契約書を差入れさせ、また右使用規程に基づいて共同住宅管理のための僅少な維持費(永年一室月額一〇〇円宛であつた)を入居者から徴収して、火災保険契約を掛けるなど一切の維持管理を行つてきており、これらの事務は初めは市厚生課の、後には工務課、建築課の取扱い事務とされて来た。したがつて、高田市が国から旧兵舎土地建物を無償貸与を受けて間もない昭和二二年九月一一日、その内の旧歩兵連隊本部建物(第一号舎)が入居者の失火で全焼する重大事態が発生した時に、高田市は、その責任上同月一六日市長名で国の東京財務局高田出張所長に対し、南新町共同住宅火災報告の件という書面で、実地図面添付の建物焼失状況、出火の原因、罹災世帯数、及び収容状態、罹災建物価格の見積書など詳細な報告書を提出し、これを受けた財務局高田出張所は同月一九日付で東京財務局国有財産部長宛に雑種財産亡失報告書をもつて大要同旨の建物焼失報告をなしているが、その中で高田市が火災保険契約をしてあつた安田火災、日本火災の高田代理店と協定し、既に損害査定書を新潟支店へ送付し、支払手続をとつてあり、保険金額計金一六万五、六〇〇円が損害評定額以上で実損害がないことを報告してあつて、高田市は原告からの借主として貸主国に対する建物焼失の責任を果している(市は進駐軍新潟軍政部へはこんな建物焼失報告などしていないし、引揚者団体は何処へもそんな報告及び処理を行つてはいない)。

(六) 以上に詳述したとおりであるから、旧兵舎の土地、建物は、終始高田市が原告から生活困窮者等の共同収容施設として一括借受けて来たものであつて、被告や被告らをメンバーとする海外引揚者団体が進駐軍新潟軍政部から借受けていたものでないことは明白である。

被告らが強調している昭和二一年五、六月頃に被告藤井外一名の引揚者が上越海外引揚者協力会の代表として、進駐軍新潟軍政部へ赴き軍政部長から旧兵舎土地建物全部を借受けたとの点は、既述の通り、高田市が既に昭和二一年四月二〇日川上市長名で進駐軍高田連絡委員部に対し同土地、建物を引揚者、戦災者、疎開者等の住宅用、開墾畑用に使用させることの承認申請書を提出してあつたので、同年五月一七日市厚生課長、地方事務所渉外課員が新潟軍政部へ陳情するに際して、被告外一名の引揚者も実際に兵舎建物に入居を必要としていた関係者として、同道して共同陳情したということに過ぎず、それも軍政部長に直接面会できたものではなく、既述の担当官二名に面談して大体の諒承話を受けたに止まり、その後、正式には国の中頸城地方事務所長から同年五月三一日付の高田市長に対する「旧軍用建物並に土地利用方に関する件」と題する文書で、同市に対し貸与許可になつたものである。そしてこれに基いて同市が、同土地、建物を地方事務所員の立会いの下で引継ぎを受け、同市の責任と工事により被告らも借受け入居できるに至つたものであるのが事の真相である。被告らは、海外引揚者らと新潟軍政部との間の旧兵舎の土地、建物借受契約が原告に引継がれたと主張するが、被告らは、前述した高田市が国有財産法等により多年取り運んで来たような原告に対する国有財産使用認可申請書、貸付申請書や使用状況報告書等を原告に提出したこともなく、又、原告から使用認可書、貸付契約書等の受授も一切受けたことがないから、右主張は全く仮空な主張に過ぎない。

(七) 又、被告らが前述の昭和二一年五、六月頃に、海外引揚者団体の代表として進駐軍新潟軍政部に南新町の旧兵舎の建物への入居を陳情した当時、被告の入居できたのは旧歩兵第三〇連隊本部建物(第一号舎)の階下二室であつたが、同本部建物が昭和二二年九月一一日の火災で全焼したために焼け出され、同被告の同建物における使用権は消滅した。その後は、被告ら被災者二十九世帯全員が、高田市の指示、配慮で、同市が原告から無償貸与を受け管理していた旧兵舎のうち、未だ入居者のいなかつた第一九号舎の雪中演習場建物を市で居住のため造作を施した居室に移り入居させて貰つたものであり、被告は同所には約三年位入居していた。

ところで、既述の通り右火災後、南新町町会が、原告から、本件土地上に在つた焼残りの本部附属の便所、下家、渡り廊下部分等の焼残建物を暖房用薪材に使うため薪材五〇石と見積られて払下げを受け、これを取潰さずにしばらく町会の配給品倉庫として使用していたが、昭和二五年八月頃、被告が同町会から家賃月額三〇〇円でこれを借受けて転居し、さらに、同三六年六月中これを同町会から代金三万一、〇〇〇円で買受けてその敷地を占拠使用するに至り、そしてその前後頃から同四〇年頃に亘つて、本件土地に次々と製餡営業用の工場、倉庫、車庫や二階建住宅を大増築するに至つたものである。

したがつて、被告が最初に昭和二一年六月中旧兵舎の連隊本部建物内の二室に入居を認められた旧兵舎使用関係と、昭和二五年八月中から南新町町会から前記焼残建物を借家して転居し、同三六年六月中これを買受けて、その敷地である本件土地を占拠し、その前後に亘つて次々広大な建物を増築して土地の使用占拠を拡大して来た関係とは、全く新規別異な使用関係である。

2 抗弁2(一)に対して

既述の本件土地上にあつた旧航空教育隊の本部建物が昭和二二年九月一一日の火災で全焼した後に、その附属である便所、下家、渡り廊下部分の焼残建物につき、地元の南新町町会から大蔵大臣宛に翌二三年一一月二〇日付の不用物品売払申請書をもつて、建物としてではなく、焼失建物の残材として、これを事務所用の暖房薪材に使用する目的で払い下げ申請があり、当時の東京財務局新潟支部ではそれを薪材五〇石と見積り燃料組合の公価格金一万五、〇〇〇円で売却していたところ、同町では取り壊さないでしばらく同町会の配給品倉庫に使つていたが、同二五年八月頃からこれを被告へ家賃月額金三〇〇円宛で賃貸し、後に同三六年六月中被告に売却するに至つた。

したがつて、元来、原告は右焼残建物を建物として存置するために売却したのではないから、何人に対しても敷地使用権を許諾するわけがなく、南新町町会も被告も右焼残建物の貸借や売買に当つて国や高田市の許諾を得ていない。

又、被告は、本件土地上に諸建物を次々増築しても、昭和三九年一二月中高田市固定資産税課から建物移動調査で発見されるまで課税申告をせず、又一切建築許可を受けてない。

そして、既述の通り昭和三二年六月中、国の関東財務局新潟材務部が、被告が本件土地に何等の許可を受けずに民有建物を建設して製餡営業を行つていたのを発見し、同月一二日付の「不法建設建物撤去について」と題する書面で、高田市に対し、被告の不法建設した建物を至急撤去させるよう処理せよとの厳達並に被告が右不法建物を建設した経緯などの詰問的照会をなしており、これに対して同市も同月一六日稟議の上、右は高田市が許可したものでないことを回答すると共に、被告に対して同日付の「民有建物撤去について」という文書で被告の民有建物を至急取壊し撤去せよとの通告を町会長を通じて行つている。

以上の経緯から、原告が被告に対し本件土地使用の許可をしていないことは明らかである。

3 抗弁2(二)に対して

被告は、原告国の指示に基く高田市からの請求により、昭和三四年一〇月一日から本件土地の一部分四八・四一坪(一六〇・〇三m2)の貸付料命令額(年額六、四九一円ないし七、八九九円)を毎年同市へ納付しおり、同四五年四月一日から同市が被告の貸付料納付を拒んでいるので毎年これを供託しているのであるが、だからといつて、同被告が該土地部分の賃借権を有するものではない。

元来、被告が高田市に対し昭和三四年一〇月一日から右土地部分の貸付料を納付することになつた経緯は、普通の土地貸借契約の場合におけるように、被告から所有者の国もしくは国から貸付を受けていた高田市に対し右土地部分の賃貸借の願出をした結果、その賃貸借が承認され貸付料が約定されたというものではなく、原告国の関東財務局新潟財務部において、昭和三二年ないし三四年中に、かねて高田市に対して生活困窮者等の共同収容施設として無償貸付けてあつた旧兵舎の土地、建物につき実地の利用現況を数次に亘り調査した結果、被告外数名の者が土地を指定用途外の営業施設に使用していたことが判明し、中でも被告が製鶴営業用の工場、倉庫等を無断建築しおり、当時でその営業施設用の土地面積が四八・四一坪もあつて、そういう土地部分は国有財産法第二二条第一項第2号の規定上、その不法施設が撤去されない限り同市に対する無償貸付が許されないので、昭和三五年三月三一日付の国有財産貸付契約書において同市に対し、被告分については右違反土地部分四八・四一坪につき、国の基準による使用料相当額を貸付料として、しかも同三四年一〇月一日に遡つて徴収することに定めた。これを受けた同市は同六月二二日の稟議で右国から命ぜられた被告等分の貸付料を、その用途外土地使用をしていた被告等にそのまま負担させることとし、〈証拠省略〉の通り右経緯要旨を記述した文書でその貸付料請求を行い、これを被告等から徴収することにしたものである。

したがつて右貸付料の性質は、事前に原告又は高田市と被告との間に合意された土地賃貸借契約による賃貸料ではなく、高田市が国から国有財産法により無償貸与を受けていた土地を同法違反の使い方をさせていたことによる違反損害金(使用料相当額)を、実際使用者の被告等に負担させた性質のものに過ぎないから、これによつて同市と被告等との間に土地賃貸借契約が成立する筋合ではない。

4 抗弁2(三)、3、4に対して

被告及び引受参加人は、被告が原告所有の本件土地に対する所有権若くは使用借権を時効取得した旨主張するが、次の事実からして、その理由は全くない。すなわち、(一)原告国の大蔵省所轄庁等が本件土地を含む旧兵舎の土地、建物全部を地元の高田市に対し、昭和二一年六月以来生活困窮者等の共同収容施設として貸付契約を継続し管理し、同市が永年その申請により借受け経営してきたこと、(二)ことに国が昭和三二年中から被告が本件土地に無許可営業施設を建設しだしたのを知り、不法建設物撤去の厳達をなし、実地調査による貸付料徴収の処置を採り、市はこれを被告に負担させていた経緯、(三)被告は、昭和二五年に本件の焼残建物を他から賃借し昭和三六年にこれを買受けたものであるが、昭和三二年中から原告や高田市から本件土地上の不法建設物の実地調査をされ、これを撤去すべき旨の厳達を受けていたのに、その後も次女と同四〇年前後に亘り大規模な無許可建築を行つて来た経緯等が既述のとおりであること等から、被告には国有の本件土地に対する所有の意思や使用貸借権者の認識などあるはずがなく、又、平穏、公然と占有使用を継続していたものでもないし、善意無過失の占有でもないから、被告が国有の本件土地に対し所有権、その他何等の使用権も時効取得し得べき理由のないことは明らかである。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  請求の原因1の事実(原告の本件土地所有権)について被告は、当初、本件土地が以前から原告の所有であること(請求の原因1の事実)を認める旨の答弁をしたが、後にこれを、本件土地がもと原告の所有であつたことは認めるが、本件土地が現在原告の所有であることを争う旨の答弁に変更したところ、原告は、被告の右答弁の変更は自白の撤回であるとして、これに異議を述べたので、まず、この点について検討することとする。

被告が当初なした本件土地が原告の所有であることを認める旨の答弁は、いわゆる権利自白であり、被告が後になした答弁は、右権利自白のうち推論部分(争いのない過去の本件土地所有権の存在により現在の本件土地所有権の存在を推論した部分)に対する自白を撤回したものであるというべきである。そして、このような推論とみられる相手方の主張に対する自白は、事実主張に対する自白と異るから、民事訴訟法第二五七条の適用はなく、その撤回は自由になしうるものと解される。(したがつて、被告が右撤回を前提として本件土地所有権の時効取得の抗弁を主張することは何ら差支えない。)

そうすると、請求の原因1については、本件土地がもと原告の所有であつたことの範囲において当事者(引受参加人の答弁は被告が後になした答弁と同じ)間に争いがない。

二  請求の原因2の事実(被告の本件土地の占有)について

右事実のうち、被告が本件建物を所有してその敷地である本件土地を占有していること、本件土地はもと原告所有の旧兵舎の敷地の一部であつたが、旧兵舎のうち一号舎(もと多年歩兵第三〇連隊本部)が火災のため焼失したこと、その後原告は南新町町会に対し、右焼失した建物の附属建物である便所、下家、渡り廊下等の焼残り部分(焼残建物)を払下げ、被告は、昭和二五年八月、南新町町会からこれを借受けて改修を加えたうえ、住居等に使用していたが、その後、昭和三六年六月、同町会から右焼残建物を買受け、さらにこれに増改築を加えて本件建物を完成したことは当事者間に争いがなく、その余の事実については、〈証拠省略〉を総合すると、これを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  抗弁(請求の原因1及び2に対する)について

そこで、以下抗弁について順次判断する。

1  抗弁1(本件土地に対する使用借権)

抗弁1の事実中、旧兵舎のうち第一号舎の建物一棟(もと多年歩兵第三〇連隊本部)が焼失したが、右建物の附属建物部分である便所、渡り廊下等(焼残建物)が類焼を免れたこと、原告は、その後南新町町会に対し、右焼残建物を払下げたこと、被告は、昭和二五年八月頃、同町会からその所有の右焼残建物を借り受けこれに入居して使用していたが、その後、これを買受け、これに増改築を加えて本件建物としたもので、昭和二五年八月以来、右建物の敷地部分を使用して現在に至つていることは当事者間に争いがない。

そして、〈証拠省略〉を総合すると、被告は、昭和二〇年一二月二〇日外地から引揚げてきたが、住居に困窮し、国や地方公共団体等に陳情などして、引揚者らの住居を確保するなどその最低生活を維持するため、他の海外からの引揚者らとともに「海上引揚者上越協力会」(会長金子秀顕)なる団体を組織したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

しかしながら、右会のメンバーである被告外一名が連合国占領軍の新潟軍政部と交渉した結果、右会のメンバーである被告ら引揚者が、同軍政部長の許可を得て同軍から、旧兵舎とその敷地を無償で借受けたとの事実は、これにそう被告本人尋問の結果はにわかに措信できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

かえつて、〈証拠省略〉並びに弁論の全趣旨を総合すると、抗弁1に対する原告の主張欄記載のとおりの事実が認められるところ、右事実、就中、被告が連合国占領軍の新潟軍政部に陳情に行つた昭和二一年五月頃、同軍の旧兵舎及びその敷地に対する接収はすでに解除されていたことのほか、昭和二〇年九月二日の降伏文書による日本政府のポツダム宣言の受諾に伴い、日本国は連合国の占領管理を受けることとなつたが、その後我国に進駐してきた連合国軍は、日本からその統治権を一般的に剥奪して自ら直接統治したものではなく、日本国に命じて必要な事項を行わせて間接的に統治した(したがつて、日本国は、いわ・ゆるポツダム緊急勅令を制定して、これに基づく勅令・閣令・省令-新憲法施行後は政令・府令・省令-により連合国最高司令官の要求する事項を行つていた)という公知の事実を総合してみると、被告ら引揚者が直接連合国から原告所有の旧兵舎及びその敷地(本件土地を含む)を借りたとの事実はなかつたものと認められる。

したがつて、その余の点について判断するまでもなく、被告の抗弁1はその理由がないので採用しない。

2  抗弁2(一)(本件土地の一部に対する使用借権)

抗弁2(一)の事実は、本件全証拠によつても認められない。

3  抗弁2(二)(本件土地の一部に対する賃借権)

抗弁2(二)の事実は本件全証拠によつても認められない。もつとも、〈証拠省略〉を総合すると、被告は、昭和三六年六月、原告の指示に基づく高田市からの請求を受け、当時の前記旧兵舎の焼残建物(入居後増築した分を含む)の敷地部分四八・四一坪(一六〇・〇三平方メートル)につき貸付料相当の年額金六、四九一円ないし七、八九九円を昭和三四年一〇月一日分から高田市に納付しており、同四五年四月一日からは、高田市がその受領を拒んでいるので、以後これを供託している事実が認められ右認定を覆すに足りる証拠はない。しかしながら、〈証拠省略〉を総合すると、被告が右金員を高田市に納付するに至つた経緯は、抗弁2口に対する原告の主張欄記載のとおりであることが認められ、〈証拠省略〉中右認定に反する部分は、〈証拠省略〉に照らして採用できず、他に右事実を覆すに足りる証拠はない。そうすると、右貸付料相当額の性質は、原告主張のとおり、賃料ではなく、使用料相当の損害金というべきであるから、被告が右金員を納付していた事実は何ら原告と被告との間に本件土地の一部についての賃貸借契約が締結されていた証左となりえないものといわなければならない。

したがつて、抗弁2(二)はその理由がないので、採用しない。

4  抗弁2(三)(本件土地の一部の所有権の時効取得)

〈証拠省略〉を総合すると、被告は昭和二五年八月以来本件土地のいかなる部分についても、所有の意思を有したことがないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

したがつて、その余の点について判断するまでもなく、右抗弁は理由がないので、採用しない。

5  抗弁3(本件土地所有権の時効取得)

被告は前記焼残建物の敷地部分を占有するに至つた昭和二五年八月以来右土地を含む本件土地につき所有の意思を有していなかつたことは前認定のとおりであるから、その余の点を判断するまでもなく、右抗弁はその理由がなく、採用しない。

6  抗弁4(本件土地に対する使用借権の時効取得)

まず、被告が昭和二五年八月当時から同年一二月二三日(二〇年の取得時効完成の可能性のある最終の占有開始日である本訴提起前二〇年前の日)までの間に本件土地につき自己のためにする意思で使用借権を行使したか否かについて判断する。

被告が昭和二五年八月南新町町会から焼残建物(床面積一一二・〇〇四四平方メートル)を借受けてこれに入居し、その敷地部分(本件土地の一部)を占有するに至つたことは前認定のとおりである。しかしながら、被告が同年中に本件土地のうち右敷地部分を除くその余の部分までも占有したとの事実を認めるに足りる証拠は見当らない。

又、右焼残建物部分を被告に貸与した南新町町会は、その敷地について何らの権原を有しておらないことは前認定のとおりであり、かつ、〈証拠省略〉によれば同町会が右敷地について自己が使用権原を有するものと称して被告にその使用を許したり、あるいは被告のためにあらたに使用権を設定するが如き意思表示をした事実はないことが認められる。その他、被告が、昭和二五年八月から同年一二月二三日までの間に同町会以外のものから本件土地の使用を許諾されたような事実は、本件全証拠によつても認められない。そうすると、被告は、右期間中、右焼残建物の敷地につき何らの権原のないことを認識していたものと推認されるほか、右敷地につき自己のために原告に対する使用借権を行使する意思を有していたものとも認め難い。

以上によれば、被告が自己のためにする意思をもつて本件土地につき使用借権を二〇年間継続して行使した事実は認められないことになるから、その余の点を判断するまでもなく抗弁4は理由がなく、採用できない。

四  請求の原因3の事実(不当利得)について

被告は、昭和四〇年頃までに本件建物の全体を完成し、その敷地として本件土地全部を使用して現在に至つていることは前認定のとおりである。

又、これまでに認定してきた各事実からすると、被告は本件土地を占有するにつき正当な権原のないことを知つて(悪意で)右土地の使用を継続してきたものといわなければならないから、被告は、原告の損失において請求の原因3(一)記載のような本件土地の使用料(賃料)相当の利得を得たものであり、したがつて、原告に対し、右不当利得金及びこれに対する利息債務を支払う義務がある。

しかして、〈証拠省略〉を総合すると、右使用料相当額の算出方法は、請求の原因3(一)及び(二)記載のとおりであることが認められ、これは適正なものということができる。

五  請求の原因4の事実(引受参加人の本件土地、建物の占有)について

〈証拠省略〉によれば、請求の原因4の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

六  結論

以上のとおりであるから、原告が、本件土地所有権に基づき、被告に対し本件建物を収去してその敷地である本件土地を明渡すこと及び前記不当利得金及びその利息金の支払を求め、引受参加人に対し、本件建物から退去して本件土地を明渡すことを求める本訴請求は、いずれもすべて理由があるので、正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 和田日出光)

別紙第一目録、第二目録 〈省略〉

別紙図面 〈省略〉

計算書〈省略〉

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